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夢の小径を散歩する  あちらこちら寄り道 道草    つれづれなるまま・・・・
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第2章   植物  1
 
 それは1970年のこと。私は都会を逃れてバーモント州北部の土地に住みつこうとし
ていた。春浅く、まだ土の上には雪がいくらか残っていた。まもなくフェンスの修理にか
かる時期で、そのための支柱が必要だった。私は弓のこなたを肩にかついで、農場の中のお気に入りの場所、滝を囲んでヒマラヤスギが生えている湿地へと向かっていた。その日は太陽が明るく輝いていたが、空気はまだ冷たかった。林の中に入って、スギの枝の間を吹き抜ける風の音に耳を澄ました。葉っぱをほんの少しつまんで鼻の下で潰し、木に挨拶を送った。ここのスギは一つの根から数本の幹が分かれて小さな杉木立を形成していた。この杉木立の中がミニチュアの牧草地になっていて、まもなく野の草花が咲き乱れる頃だった。私はこの場所でこの2〜3日を過ごすことになるだろうと考えていた。チェーンソーを持って来ていれば、その日の昼食までか、遅くとも夕食までには仕事を終えることができただろう。だが、私は絶対にチェーンソーを持ち込まないと心に誓っていた。それ以前には、私は一度も自分でフェンス用の支柱を切ったことはなかったが、今度は何とか自分でやれると思っていた。どんな風にやりたいのか?もし私がこの湿地で育っている木だとしたら、どんな風にしてもらいたいだろう?私は一番近くのヒマラヤスギに向かって、どうやってフェンス用の支柱を切ればよいのかを尋ねた。もちろん、答えを期待していたのでも、答えをもらったわけでもなかった。それとも、もらったのだろうか?ともかく、どんな風に支柱を切り出すか、そのときには完璧に明白になっていた。それぞれの木立の混み合っているところから、幹を1本選ぶ。その幹を慎重に切り出し、枝を払い、切り株の上に払った枝を重ねていく。そうすれば1本の木も損なわず、また切り落とした枝で草地を塞いでしまうこともなく、木立は来たときよりも健康で、より美しくなっているだろう。おそらく1日かそこら余分にかかることになるだろうが、誰が気にかけるだろう?
 
 詩人のゲーリー・スナイダーは、私たちが家畜を屠殺するやり方が、私たちの社会に終わることのない不運をもたらすもとになっていると述べているが、これは興味深い声名であり、真実であると私は考えている。これは東洋で言われるところのカルマの法則の理解に基づいている。西洋では「因果応報」とか、「剣に生きる者は、剣に死ぬ」などといった説教の中に、同様の理解を示す表現がある。多くの人々が家畜に与えられる不自然で残虐な生と死に対して懸念を示し、さらには激しい怒りを表明している。スナイダーは菜食主義ではないが、私たちの動物に対する態度が、その他のすべての態度と同様、自分たちにはね返ってくると指摘するに至っている。もし尊敬の念も感謝の念ももたず、犠牲となってくれる動物の命を奪えば、私たちもまた屈辱と疎外を免れないだろう。これは何も残酷な運命であるとか情容赦のない自然の摂理などではなく、ただ私たち自身が不運を創り出しているということなのだ。
 私たちの植物に対する関係性もまた考慮する価値があるのではないだろうか。この関係性において最も際立っているのは、私たちには植物が必要だが、植物の方は私たちを必要としていないというところにある。私たち人間は需要のすべてを満たすのに、全面的に植物に依存している。燃料、住居、衣服、薬、石油化学というコルヌコピア(訳注:(ギリシャ神話)豊穣の角・・・持ち主に望みの力を与える力があった)、そして言うまでもなく食物。(肉でさえも植物からできている) それとは対照的に、植物の社会は人間なしで申し分なく機能している。私たちは破壊と絶滅の脅威という苦しみの他には何も、植物には提供していないように見える。ここにある種のカルマの反動がある。私たちは土、空気、水そして太陽の放射といった、森や植物の生命の基盤を荒廃させつつある。これは殺人的なだけではなく、自殺的なことだ。そのような状況下で、私たちの種に対する植物のたゆまぬ寛大さは、全く目を見張るべきものだ。何が植物をそれほど寛大にし、人間をそれほど残虐にするのだろう。道のどこかで私たちは一体であることの経験を失ってしまった。私たちは他のすべてのものと違うのだという哀れな嘘を支えながら生活しているが、これは欺瞞だ。なぜならあらゆるものの中心に同じ意識が輝いているのだから。この嘘は物哀しい。なぜならそれが私たちにあらゆるものから疎外された無味乾燥の生活を宣告しているからだ。区別が無関心を生む。もし森と自分は別物であると考えるならば、あなたはより積極的に森を搾取しようとするか、あなたに代わって他人に搾取させるだろう。
 一方、植物は自分たちが他の創造物と分離しているという幻想のもとにはいない。植物がどのように土や空気、鉱物、動物、昆虫などと相互に関りあっているか観察するといい。周囲にあるすべてのものが、その存在によって豊かになり恩恵を受けている。植物そのものが自然だと言う人もいるかも知れないが、植物は自然と調和して生きている。この調和の中から、私たち人間や他のすべての同胞に対する、信じられないほどの寛大さはやってくる。


* 本文中の詩人のゲーリ-・スナイダーは~私たち自身が不運を創り出しているということなのだまでの部分は、最近の新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)や鳥インフルエンザ、少し前の狂牛病の報道などを見聞するにつけ、全くゲーリーが指摘していた通りだと私自身も実感しているので、意図的に色を変えました。miriko
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プロフィール
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miriko
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女性
職業:
カード・リーディング
趣味:
自然観察
自己紹介:

夢や夢見に興味があります。自分の見た夢が誰かの夢とシンクロしていたり、現実と重なってきたり(予知的)・・・そんな測り知れない夢の世界について語り合ったり、もう少しだけ深めることができればと思っています。
専門的な視野、夢解釈などのコメント大歓迎です。
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